昭和59年06月10日 月次祭



 信心する者はこれから先どの様な事が起ってきても驚いてはなっらんぞ。と仰られる。これほど信心するのに、どうしてこの様な事が。起こるであろうかと思うたら信心は留まっておると言う。信心、神様を信ずることのでけれる、それを私しは力だと思います。だんだん信心をさして頂いておりますと、神様の間違いのないお働きの中に、日々を過ごさせて頂いておるんだ。神様のおかげを頂かなければ立ち行かんのだ。と言う思い込みが実感としてだんだん篤くなってまいりますなら。
 よし例えばどの様な事が起っても、どっこいとそれを受けとめる力が出来ておらなければなりません。もちろんこれほど信心するのにと言う様の思いではなくて、これはまぁだ信心が足りんのだと思うての、ところからの信心が出来なければなりません。そういう信心を辿らせて頂いて、一段一段真の信心が自分の心情になって参ります。そういうおかげを喜ばして貰い、楽しませてもらえれる信心にならなければいけない。
 先日神愛会、先生方の信心研修です。遠方からいくらもお見えになられております。その一人一人の先生方がいかに合楽理念にもとずいた、いわゆる布教活動が出来ておられるかと言うと、もう一人一人のもうこりゃお取次ぎの現場で、しかも御理念を元にしていっとらなければ、こういう話は出来まいと感心するほど素晴らしい話を、皆さんが発表になりました。梶原先生が司会を致しておりましたが。ごひれいの輝く教会では、ま異口同音に言う事は、ご信者の方が親先生のおかげで、親先生のおかげでと。
 口を開いたら親先生おかげでと言う事を申しますけれども。成程親先生のおかげでおかげを受けておりましょうけれども、親先生の教えて下さった御教えのおかげでと言える信心を頂かなければ、信心が身に着いて行っておる事にはならないと言う様な事を話しをしておりましたが確かにそうです。親先生のおかげ勿論そうであろうけれども、親先生が実験立証して教えて下さった事。それを自らのものにして行くと言う自分の生き方の身上にしていく。そこから私しは受けられるおかげが本当のおかげだと思います。
 御本部の方に勤めております、渕上先生の前の日から来ておりましたが、最近だんだんお仕事も慣れて参りまして、ま先生方の御信用もだんだん頂ける様になり、なかなか難しいお仕事を次から次と、いま矢継早にあれもしなきゃこれもと言う様な時に、私しは今はまだこういう手を離せない仕事してますからとは申しません。神様が下さる御用だから、出来る手金は別として下さった、そのお仕事に本気で取り組ませて頂いておりますと言う発表でした。
 そう言う様な思いを見よると、御祈念の時にどうぞ成り行きをいよいよ尊ばさして下されと言うて、御祈りをさして頂いた。御心眼に五重塔を頂きました。五重塔というのがございますね。それで自分が今御祈念をさしてもらった。それこそ矢次早に出される仕事でも成り行きとしてそれを受けて立とうするその信心であり。意欲と言うものが神様お認め下さってあるのであろう。例えそれを二重に三重に重なる様な御用であっても、それを受けてこなさして頂く事を願いとする生き方。
 もう最近は本当にあのう五重塔を乗せて頂いて、はぁもうこれが五重の修行だろうと思う様な事が次々とございます。第一家内がっ病気を致しました。二人の子供が水疱瘡で大変難儀をしております。仕事の上に家庭の上に次々とそれこそ五重にも重なる様な、ま言うならば難儀な事が続いておりますけれども。それを日頃の教えに基いてここは御理念を持ってこう頂くべきだという頂き方をもって、おかげを蒙っておりますというて発表致しております。例えがその難儀が五重も重なる。自分でも言ってました。
 その事を頂いて五重と言う事はいわゆる重なった上にも重なっていくだろうが、今日という字に土偏にくさ冠を書いて合うという字が書いてある。これは親先生がいつも言われる様に土偏と言うのは泥の信心であろう。草冠と言うのは自然に起きて来ること合うと言う事。それをこう頂きあうと言う事。であろうと世界つきて頂いておるというのでございます。信心の芯ともなり、大切なところと言うのは様々な事、様々な問題がありましてもそれを問題とせず難儀とせず。
 それを日頃の信心でどう受けるかという稽古だと思うんです。あの五重の塔というのは、まぁ仏教で言う教典ですかね。教典があの中には納めてあると言う事でございます。言うならば宗教の芯であり一番大切なものが納めてある。いわゆる私達信心さして頂く者の一番大切な事は、おかげを受けて神様をどんな場合でも信じて疑わない。それを大切な信心のもとともしていく構えと言うものが。いつもおかげを頂きました。
 おかげを頂ましてどんな場合でもおかげを頂ましてで受けられる信心を身に着けて置きたいと思います。私共が北支から引き揚げて参りました、当時椛目では。妹たち夫婦と両親それに私共が親子4人で帰って参りましたので、ですぐ3番目の愛子が生まれましたから5人、7人のもののまぁ家族でございましたから。当時酒の配給を致しておりました。それは楽な事は出来ませんでしたけれども、親子7,8人が食べて行くと言う事には事欠かないおかげを頂いておりましたが。
 ある日突然、今度酒屋の縮小があるというので、矢作、椛目、島の3つの部落で2軒の酒屋さんに絞られる。その時でした、椛目の内田さんの御主人が早速私しの方へ見えまして、大坪さん今度は選挙の様なことで、社会が決まるごたるふうですけん、(?)タオルのひとつづつでも持って挨拶に行っとかれたがいいですよって言うて親切に言うて下さった。私しはまぁ本当にまぁ今から考えますと相済まん言い方だったと思いますけれど。内田さん私はそげなもんやってからまであのう残ろうとは思わない。
 残れるのなら神様が残らして下さるだろうから、そんな事は致しませんと言うて。ならあなたがそう言いなさるなら、と言うて内田さん帰られましたが。確かにその時にタオルの一本づつも持ってご挨拶に行っておったら、まぁ今でもやはり酒の配給をしておったかもしれません。もちろんその事は親先生にお取次ぎを願っておりましたから。早速親先生こう言う事になりました。そしたら親先生が御結界に座って、そりゃどうするのって言われました。
 いえ親先生、こりゃ神様が酒屋よりももっと良い商売を私しに与えて下さろうとする働きに違いありません。ですから今後の事をどうぞお願い申しますと言うて帰りましたが。本当にそういう時にさぁどうするかと言う様な心で、またそんな時にね。神様がよりおかげを下さる事のためにの是である。働きである。と言う風に頂けるだけの私しはひとつの、信念確立をしとかなければならん。小さい時には何か大した事のない時には、まぁおかげおかげと言うとるけれども。
 ちょっとなら一生一代と言った様な問題が起ったり、悲しい事が起ったりすると申します。これほど信心するのにどうしてこの様な事が起きて来るであろうかと。思う様な事では私しは信心は何時まで経っても進まないと思います。また神様が下さろうとするおかげを、何時の場合も取外してしまうと思うです。今日私休まして頂いておりますが、お夢を頂いたと言うのは、ここでそれこそ熱心なご信心をなさる或る方が。親先生子共が電車に衝突しました。
 というてあのう飛び込む様にして私しのところに見えられた。本当にそりゃあんたどうするのといわにゃおれん様な感じでしたけれども。これをおかげにしていくのが信心ですよ。と申さして頂きましたら。常日頃出来ておる信心の方ですから、ほんとに是を境に一段と御信心のお引き立てを頂ますようにと、言う意味の事を言われたら次の部屋に立派な御膳が並んでおって、それにまぁ三界の珍味と思われる様な御馳走がいっぱいである場面をお夢の中に頂いて。
 神様が最高のおかげになるままになる働きをして下さる前には。必ずそうしたテスト的な、私しはいうならばお試と言う様なことがございますけれども。それを日頃の信心でやはりあのう受けて行く、そういう時にどうしてこの様なと言うのではなくて。こりゃまだ信心が足りんのだと、次の信心に飛躍していく構えを作って行かなければならない。限りない信心の精進と言うのはそういう大きな力が頂ける。おかげが受けられる。そりゃ信心しとっても雨も降りましょう。風も吹きます。
 けれどもそれを利用する様にして次の信心に飛躍して行くと言う事が大切だと思います。私自身のいろんな信心を思います時に、その時にその気が付かなかったけれども、あぁいう時に信心がこう飛躍して行った。こりゃ少しは鍛えがえがあると神様は思われた。まぁそれこそまぁ矢次早にいうならば、御商売を取り上げられたり、間もなく弟の戦死の報道があったり、妹の婿が亡くなりましたり、もう続いて言うなら様々な難儀な事が起りましたけれども。
 今から思うて見ますとに、そういう難儀とか悲しい事を通して私しの信心は、こう磨かれて来た様に思います。その時どのひと事だって、これほど信心するのにとへこたれておったら今日の合楽はなかったかも知れません。今日こうしておかげを受けておる元にはそういう、それこそ二重にも三重にも、それこそ五重の塔じゃないんですけれども。重なった上にも重なった難儀が続きましても、それを信心で受け切り信心で都度に力を得て参りました様に思います。
 信心の大切なものを、自分の心の中に積み重ねて行く、いわゆる五重塔が自分の心の中に築かれている、なかにはいわば信心の一番大切なところが身に着いてくる。それで始めて私しは信心する者のおかげと言えるのじゃないかと思います。ただ親先生のおかげで助かりましただけではなくて、親先生が教えて下さった事を行じ。それを自分の信心の心情とも芯軸ともさせて頂いて今日の私しがあるんですと。言えれる様な私しは信心を。こりゃ皆さん一人一人がそういう信心を頂いて頂きたいと思います。
 問題は力です神様を信ずる力。その力がどんな場合であってもそれをどっこいと受けとめる力になっております。人がどうするだろうかと言う時に、これがおかげの元になるんだ。と例えばおぼろげながらでも信じれる生き方。こんな素晴らしい生き方はないと思います。何かあるたんべんにへこたれて行くというのではなくて。どうして私達はこんなにふが悪いだろうかと言う様に沈んでいくのではなくて。その都度に神様が特別のいうなら、ままになるとするおかげを下さろうとする前提であると信ずる事です。
 そこから私共の言うならどんな事があるか分りませんけどれも。行く手は洋々としてまいります。どんな場合でもこれ程信心するのにとか。事が起ったらそれであわてる。と言った様な事のない信心。どこまでも神様を信じて疑わない生き方をいよいよ身に着けて行きたいと思います。それには親先生のおかげから、親先生が教えて下さった教えを、本気で行じさせて頂いて今日のおかげがございます。おかげで力を得る事が出来ましたと言えるような信心を。皆さん本気でひとつ身に着けて行って頂きたいと思います。
   どうぞ。